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2006年12月29日 (02:47)

3日もかかって。。。思ったこと。

洗濯物のシャツ上で寝るキアヌぼん

キアヌぼんが横で寝ている間、オラは必死こいて(と言いつつ、多少ダラダラやってたのも事実だすが)、イタリア人同僚の尻拭いをしていたわけだす。

最終的に、彼が手がけた19個中13個に何かしらの問題があることが判明。残る6個もぱっとみ問題なさそうに見えても、こんだけの高確率で問題があると一応はチェックをしなくてはならないわけで、だったら初めから全部自分でやった方が手間無かったべ、と思う次第なのだす。1日かければ終わるべか?と思っていた予測が思いのほか延びてしまった背景には、一体どこで各ミスが生じたかをチェックするのも含まれていたのだす。


これはまた別の話なのだすが、、、
その昔、とあるナポリ人学生がサンプリングをし、オラが解析することになっていた分担作業でやる仕事の話があったのだすが、どっちかと言えば、オラは”手伝ってあげる”立場だした。

ある日、予告も無しにオラのテーブルの上に件のサンプルが入ったお皿がポンと置かれているだけ。邪魔なので捨ててしまおうかとたまたま好奇心で顕微鏡を覗いて、なんか棄てちゃまずそうなのに気付き、一応当時の(自称)上司聞いたのだすが、「あ、それはxxに言って集めさせておいたサンプルだ。ちゃんと比較すべき2種類あるだろ?」って、連絡不行き届きなのは完全に無視*、しかも2種類がキッチリと分類してなければならないハズなのに、ごちゃ混ぜになっているので、それも指摘したところ「ダブルチェックだ」とのたまう。

(*なのに”仕事よりも人間関係やコミュニケーションが大切だ”と毎度のこと強調するのは、自分たちにとって都合の良いようにやってくれるイタリアン・マンマ的なケアを求めているワケで、笑っちゃうのだすが)

ダブルチェックにしたって、たまたま入っちゃったレベルの混在具合なら分かるけれど、明らかにごちゃごちゃ入っている状態のものを渡されて”ダブル”とのたまう辺りがいかにもナポリ・クオリティーなわけだすが、今回のもそれに匹敵するくらいのレベルで間違いの割合が高いわけだす。

比較的まともに見えるイタリア人A君にしてこの始末。。。俺は決して彼のことおよび仕事ぶりは嫌いでねえし、どちらかと言えば好きなわけだすが、このことと仕事のクオリティーは別なのだす。「Aよ、お前もか。。。」

で、オラがこの3日間思っていたことと言えば、オラは万が一子供を育てる機会があったら、家訓として「イタリア人友達になってもいいが、仕事をするのは出来るだけ避けるべし」と言うのを叩き込むつもりなのだす。言い換えれば、人種による偏見を叩き込むつもりなのだすが、それは偏見と言うよりかは生活の知恵と考えてもいいとオラは強く思うのだす。もうちょっと物事に判断がつくようになったら、「そうした先入観に囚われず、状況に応じて自分で判断するのが大切」とも教えたいとは思うだすが、何でもかんでも偏見は駄目、で世の中が渡れる程、世の中はおめでたくも人は強くもないとオラは思うのだす。

ちなみに集団と言うのは、個々の例を並べては規定出来ないのだすが、例外があるからと言ってその集団がその例に添わないとは言い切れないのだす。「阿部寛やアントニオ猪木は日本人だ」からと言って、日本人(と言う集団)が体格的に劣っているわけではない、と言い切る人はいないだしょ?

なので、イタリア人にたとえ優秀な人がいても(実際にいるのは知っているけれど)、基本的に仕事の相手としては(いろんな意味で)やりにくい、のだす。それが約束を守る気がないナポリ人ならばなおさらだす。


そりゃそうと、こういう話を持ち出すと、散見される不毛な反論は2パターンあるのだす。「一部のイタリア人がそうだからと言って、そういう人だけではない」と「日本人だって、立派なわけではない云々」というやつだす。

だけど、”ある意味”しょうもないと認識されている話の際にイタリア人は比較的やりだまにあげられるし、一般庶民が海外進出が多くなった昨今の日本人がしょうがない面があるというのも言われてしまうことだし(もちろん、それぞれ評価されている面もあるわけだすが)、少なくとも西洋の価値観でも認められる行動は美化されたSAMURAI的精神などなわけで、普通に日本人以外の人と話していると、「イタリア人もしくは日本人、しょうがないなあ」と言う話に取りたて横やりは入らないものなのだす。この手のことって言うのは。

大体聞いている人だって、大半は、先入観は持ちつつ、だからと言ってそれをことさらに前面には押し出さないわけだす(でもって、フランスで会う人の方が、人種を問わず(と言っても、ある程度は限られているのだすが)、割とバランスのいい人が多く、イタリア(と言っても多くの場合ナポリ)では、なんかそこら辺の感覚が極端に偏っている人(=オラと話が噛みにくい人)が多かったのは、それがナポリだったからだしょうかねえ???


と、オラがグダグダblogを書いている横で、キアヌぼんはスヤスヤと寝ているのだす。長くなったので、今回はこの辺でごきげんよう!


関連するかもしれない過去の記事

過去記事1:個人の差?、集団の差?
過去記事2:ジダン事件から垣間みるオラやその他のイタリア人への偏見、並びに一般的に偏見とそれが差別に至るか否かの境界線。
カテゴリ : その他記事のURL コメント (5) トラックバック (0)

コメント

わかる気がします

今日からまた仕事始めです。年末は日曜と祝日しか休みがない状況です。
いや~イタリア人の下で働くことをあきらめ自営業になった私。現在は日本人同僚としか仕事を共有していません。
元彼との頻繁な喧嘩の一因もこの仕事に関する見解の違いだったし今まででもこいつとなら一緒に仕事できると思ったイタリア人は片手に足りないぐらいです。

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ま、その方面はイタリア人に期待する方がアホだということだすのう

>pallinaさん。
それは、仕事納めが今日だった、と言うべきな気もするわけだすが、週明けたらまた平日だすからのう。ナターレが境と言うのも気分的には分かりますだな。とりあえず良いお年をお迎えくだされ。

そりゃそうと、その在住歴で片手で間に合ってしまう程と言うのは、逆に怖い事実を知ってしまった気もするだすな。まあ、生活は成り立ってらっしゃるようなので、それはとりあえずは良い選択をしたということだしょう。

>非公開希望の方。
実を言うと、何をおっしゃりたいのか、よく分からないのだす。どこら辺が分かりにくかったかをざっと並べるに、

歴史的背景もしくは生活環境が性格もしくは生活スタイルに影響を及ぼすことが、通説である以上に議論されて、もっともらしいことになっていると言う証拠(例えば、本、論文など)を示して頂けるとありがたいのだすが(別にその通説らしきものにオラ自身は理解は示せるし、同意も示せますだが)、それが無い以上、歴史的背景を理解することで質的に何かが違う要因をオラの偏見に付け加えることにはならない気がするのだす。

で、仮にオラが分からなかっただけで、質的に違うかもしれない”それ”をオラが知ることで、「イタリア人と仕事する上では、そのいい加減さに気をつけるべきだ」以上のことが分かりうるのだすか?オラが勘違いしているかもしれませぬし、その辺を補足して下されば幸いだす。

また、個人主義と仕事のアウトプットが両立に関してイタリアよりはるかに機能しているフランスをみる限り、”個人主義=仕事の質が悪い”と言う構図は決して一般化出来ないと思うだすが、イタリア人の仕事のいい加減さが個人主義に結びつけて話が論じられているのはどうしてだしょうか?

そもそも仕事を切り上げて帰ってしまうことが個人主義の具体例と言うのがイマイチピンとこないわけだす(ちなみに定時によりキッチリ帰るとか店が閉まるのはフランスでの方がより顕著のような気がするのだすが)。さらに、そもそも一般的に用いられている(もしくは社会学で習う)個人主義と、イタリアでまかり通っている「自分さえ良ければいい」&「その場をしのげればいい」主義とはかなり質的に違うと思うのだすが、この定義に関して、「偏見」を「偏った見方」とわざわざ言い換える以上の説明を付けて下されば、オラの偏った頭でも理解出来るのと思うのだす。

ほんでもって、イタリア人と仕事をするのは、何も日本にいてだって起こりうるわけだす。つまりオラの記事を日本語で読む方でも起こりうるシチュエーションなわけだす。それでも敢えて「イタリア在住」ということにシチュエーションを限定して、さらにイタリア在住の適性についてコメントをすることが、イタリア人と仕事をするというテーマにおいてどの程度の意味があるのだすか?


ひょっとしたら、オラの思ったことが、一般的には自明なことだったかもしれず、おらのエントリーの言葉足らずの部分を補足するべくコメント頂いたのかもしれませぬが、どうもわざわざコメントして頂いたにしては話の方向性が見えないので、とりあえずオラが読んだコメントに対しての雑感を書いてみただす。

オラの拙い文章では伝えきれないところは、聞いて頂ければ、オラが可能な限りは言葉を足したいと思うので、遠慮なく、ついでに言えば、第3者の人にも分かるように公開で質問して下されば話が早いので、オラ的には嬉しいだす。

何はともあれ、良い年末年始をお迎えくだされ。

元非公開希望のモノです(笑)。

ebizo博士のコメントを拝見して、なかなか頭をガツンとやられた感じで、目が覚めて良かったです(^-^*)。

イタリア人の仕事のいい加減さを、個人主義の例として挙げるのは完全にマズかったですね。
利己主義と個人主義を混同してしまった悪い例です(>_<)。

ところで、私がイタリアで、イタリア人と仕事をして来た実体験の中で気付いた「イタリア人と仕事をする際に、注意すべき点」を挙げると、

1.イタリア人は期限を守らないことが多い。
2.イタリア人の仕事は、出たら目、いい加減であることが多い。

ということです。

自分自身の実体験としてこのようなことをたびたび経験すると、それはある意味、どんな論文の中で証明されていることよりも「自分の中では真実」であって、ではナゼそのようになるのか、その理由を論じたりすること自体ナンセンスなのかもしれません。

イタリア人と日本で仕事をする、云々のくだりもebizo博士が指摘される通りで、そう言われてみれば自分が見渡していた世界の狭さに気付き、なるほど勉強と思うと同時に、自分の器の小ささにちょっと沈(苦笑)。

話は全く変わりますが。
2006年は個人的にかなり激動の一年でだったので、2007年は心機一転となるよう(本当に変身するぞぉ~っ!)、年末年始は「赤の下着」で幸せを呼び込もうか、と(笑)。
ちなみにフランスにもそのような習慣はあるのでしょうか(話が全然違うところに飛んでいって、スミマセン)?

ebizo博士、皆さまも素敵な新年をお迎え下さいませm(_ _)m。

なんとなく34度くらい方向がズレていっている気がしないでもないのだすが、、、

やっぱり何を伝えたい/伝えたかったのかが、よく分からないのだすが、まあ師走の折、放っておくとしやしょう。

派生的に思ったこととしては、そのずれは、多分”議論”というのを日本人が根本的なところで慣れてないところから生じているだべなあ、とふと思ったのだす。何はともあれ、一喜一憂する必要はないと思うのだす。

それはさておき、赤い下着については良く知らないだす。そういうのをわざわざ話題にしていいものかどうかも分からないだすしねえ。赤い下着が特別にディスプレイされているのはとりあえず見ない気がしますだ。

気分を新たに何か取り組むことで成りたい自分に成れるといいだすのう。

では、良いお年を。

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Author:ebizo (ebi)
「おら」ことマッドサイエンティストなebizo&その助手ナポリ生まれの猫キアヌ坊(きあぬぼん)は、フランスはパリにてその日暮らしをしているだ。blogの略称は”おらキア”だ。コメントが撥ねられちゃう方はフォームにて連絡下せえ。


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