2007年12月03日 (00:03)
カエサル的思考
常々、他人に対して「どうすて、そんなことスンベか?」と腹立たしいこともあるわけだすが、「ま、この人はそういうふうにしかできねえんだべ」と思うことによって腹立ちそのものは解消されることはあるわけだすが、これは2つの意味があるわけだす。
一つには、相手の異なる価値観を一応認めることでありやんして、まあこれは異文化交流の際には(何も国の違いだけではなく、日本国内の地域性にだって当てはまるはずダベ)、実際的でありヤンす。
もう一つが、カエサル的な上からのものの見方で「対等だと思ってなければ、腹も立たない」ということでやんす。人類皆平等、的な思考を受け付けられていたからだべか?いまいちオラはこの後者の思考法に馴染めなかったわけだすが、何となく最近そう考えることによって心の平穏を得ていることに自分で気付き始めたわけだす。
いいのか悪いのかを結論づけられるほどには思考は煮詰まってもねえわけだすし、自分が偉人には程遠いのも認識はしているつもりなわけだすが、なんでそう偉そうに考えられるようになったかは自分でもよく分かりませぬ。
他人の欲望に対して何らからの寛容さを持てた先に悟りのようなものがある気がするのだすが、そこに至ることが出来るダベかねえ?
なむなむ。
一つには、相手の異なる価値観を一応認めることでありやんして、まあこれは異文化交流の際には(何も国の違いだけではなく、日本国内の地域性にだって当てはまるはずダベ)、実際的でありヤンす。
もう一つが、カエサル的な上からのものの見方で「対等だと思ってなければ、腹も立たない」ということでやんす。人類皆平等、的な思考を受け付けられていたからだべか?いまいちオラはこの後者の思考法に馴染めなかったわけだすが、何となく最近そう考えることによって心の平穏を得ていることに自分で気付き始めたわけだす。
いいのか悪いのかを結論づけられるほどには思考は煮詰まってもねえわけだすし、自分が偉人には程遠いのも認識はしているつもりなわけだすが、なんでそう偉そうに考えられるようになったかは自分でもよく分かりませぬ。
他人の欲望に対して何らからの寛容さを持てた先に悟りのようなものがある気がするのだすが、そこに至ることが出来るダベかねえ?
なむなむ。





コメントの投稿